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【キリスト教】キリスト教は禁欲的で厳しい教えか? 他宗教に非寛容な宗教なのか?
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     海外出張を終えて帰国したわたしのために、職場の人々がパーティーを開催してくれた。ふだんはあまり呑まないわたしも、今宵は例外ということにして深夜まで痛飲した。酒のいいところは、人と人をへだてる壁のようなものが低くなり、ふだんは挨拶程度の人とも気軽に話ができるようになるということだ。 

     現在の職場にクリスチャンはわたしひとりしかいない。休憩時間に聖書を読んだり教会関係者と電話で話したりするので、奇異の目で見られることもないではない。パーティーの席でも、若い同僚にこんなことを言われた。 

     「ねえトリスさん、キリスト教って厳しい宗教だよね、俺には無理だわ・・・」 

     これだけだと何を言わんとしているのかわからないので、「どういうところを厳しいと思ったのですか」と問い返したところ、「だって俺、酒も女も好きだし、欲望のカタマリだもん。トリスさんみてーに禁欲なんてできねえよ」これを聞いた周りの人々が、どっと笑った。わたしたちの会話には他の同僚も加わり、飲み会はキリスト教に関する質疑応答の場になってしまった。(^_^;) 

     キリスト教に関する誤解は、だいたい以下の3つに大別できようかと思う。 

    1.クリスチャンになると、禁欲しなくてはならない(酒、性的な事柄、グルメなどに関して) 

    2.キリスト教は他宗教に非寛容なので、クリスチャンになると葬式や法事のときに困る 

    3.キリスト教の神は、ノンクリスチャンを救わないばかりか、地獄に落とす 


     あなたがクリスチャンなら、なんと答えるだろうか? 以下はわたしの回答。 

    1.キリスト教は禁欲を要求する教えではない。酒を飲むなと指導する教派は、むしろ少数派。カトリックなどはむしろ酒豪が多いくらいだ。性欲も食欲も、神が人に付与した正常な機能である。相手構わず発情したり、過度に美味を追求したりするのを戒める言葉ならば確かに聖書に載っているが、キリスト者にはそういう欲望の暴走を抑える力と手段も添えて与えられる。また、欲望に負けてしまった場合でも、心底から悔い改めるならば赦される。こんな楽な宗教が他にあろうか。禁欲については、仏教のほうがずっと厳しいとわたしは思う。煩悩を自力ですべて滅ぼし尽くさなければ涅槃には至らないと、ブッダは教えているのだから。 

    2.キリスト教が他宗教に非寛容だとは思えない。もっとも、仏教やイスラム教などを敵視しているクリスチャンがいないと言えば嘘になってしまうが。わたしは形式的にはカトリックだが、仏式の葬儀に出ることには何の問題もない。ただし、焼香は避けるよう指導されたことならある。あれは仏法僧に帰依し奉るという意味があるからだそうだ。だから、焼香はせず手を合わせるだけにしているが、そのことで仏教徒に文句を言われたことは一度もない。法事については、わたしは出席しないことにしているが、これは信仰上の理由というより時間の無駄だと考えているからである。カトリックやプロテスタント主流派は、仏教的慣習をさほど問題のあるものとは見なしていない。もちろん、祖霊崇拝などキリスト教の教義と明らかに矛盾するものについては、そうではないけれども。

    3.神がノンクリスチャンを地獄に落とすかどうかについても、教派により理解は異なる。ヨハネ14:6の「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」を、ノンクリスチャンに救いなしと解釈する神学者もあるのは事実。しかし、神にしたがう人は異教徒でも救われるという趣旨の記述も、聖書にはあることを指摘しておきたい。ヨナ3章のアッシリア人、列王記下5章のナアマン、マルコ9章の「わたしたちに逆らわない者」などだ。したがって、神はノンクリスチャンを救わないというのは、聖書的には誤りである。「誰が救われるのか?」という質問については、「神のみぞ知る」としか答えようがないとわたしは思う。救いとは神による一方的な恵みであり、人間には救われる価値も権利もないからである。 

     
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